
![]() ![]() ※バービー・ファラ
![]() Ibrahim Farrah イブラヒム・ファッラー レバノン系アメリカ人。通称Barbie Farrah。アメリカにおけるオリエンタルダンスの第一人者。ダンサー、講師、振付師として中東のあらゆる舞踊をアメリカに広めた。Near East Dance Group を創立し、各地で公演。雑誌アラベスクを創刊するなどオリエンタルダンスの普及につとめる。 1981年にはRuth St.Denis Choreographers Awardを受賞。1998年死去。 http://ibrahimfarrah.com/ ![]() |
![]() 5.NYでプロのベリーダンサーとなる 長らくお待たせいたしましたが、再び「カリーマの部屋」を執筆いたします。 NY滞在2年目(これはベリーダンス歴2年目!ということですよ)にして私はプロダンサーになることができ、本当にラッキーだったと思います。 当時は30歳になったばかりだったので元気ムンムン。日本にいるときも超元気で、毎朝9時から富士通川崎工場でプログラマーなんかやって、夜8時〜11時まで銀座で週2回、関内で水・土曜日ホステスバイトしていました。銀座に行く日は会社が終わってから時間があったので、あり余る体力をもてあまし、玉川の土手などもくもくと走って暇をつぶしていました。当時はバブルの真っ盛りだったので銀座は時給4千円、関内は3千円でした。おまけに銀座はママに直接スカウトされたので衣装代はママ持ち。「かおるちゃん。このドレス着てちょうだい」という感じで、ドレス代0円! おかげで会社の給料を全額社内預金にする事が出来、当時は金利も良かったので金はウハウハと貯まりました。 NYに来てからも日本人バー以外に、日本の会社で昼2日間でいくらなどの短期ワープロ打ちや事務バイトで稼ぎ(正規の学生ビザを持っていたのと元富士通社員だったため、面接はすべてOK)、暮らしはとても楽でした。大学の休みにはカナダ旅行やカリブ海クルーズでプエルトリコやバミューダ諸島に遊びに行きました。本当にバブルの恩恵たっぷりの時代に丈夫な体で生まれ、バリバリ稼げてとてもラッキーでした。 ベリーダンスは主にヨースリーに習っていましたが、バービーのクラスにも参加していました。バービー・ファラはまさにカリスマ振付師でレッスン中も異様なオーラを放っていました。目をぎらつかせ、一人ひとりの生徒の顔を睨みつけ ”Walk like a woman !!”などと怒鳴ります。彼の外見はヒキガエルチックな腹の出たゲイのオッサンなのですが、踊り始めると彼の体の奥底に潜んでいる女が「ぐわぐわぐぐわあああ〜」と出て来るのです。最初は顔を合わせるのが怖くて下を向いたりしていましたが、怖がるとますます近寄って来て “Hot sake!”とか“Sushi!”とか意味不明な怒声を浴びせ、ついには “You are tea pot Geisya !:お前はティーポット芸者だ!”などのまったく意味不明なことをいわれ、腕をつかんでぐりぐりとされました。 つづく |
